商店街沿革

竜馬通り商店街振興組合の沿革

商店街の成り立ちは、1594年豊臣秀吉が桃山の地に伏見城を築き、その後宿場町・港町として発展した江戸中期、約300年前にさかのぼるといわれる。往来する者たち、働く者たちに、着物や日常雑貨を売る店が自然発生的に生まれ、それぞれが情報を交換し合いながら仲間同士の結束を固め、やがて商店街の原形が出来上がってきたと言われる。
1960年代に南浜商栄会として組織され、今日の商店街の基礎が出来上がった頃、伏見の町に大型スーパーが続々と進出し、その影響が徐々に出はじめた。そこで「納屋町に追いつけ、追い越せ」を合言葉に、隣接する納屋町商店街に倣って「南納屋町商店街」と改め、伏見商店街連盟に加盟し、大きな輪の中に入って活動するようになった。
1994年、増加しつつある観光客の取り込みを図るべく、竜馬通り商店街振興組合と改称のうえ法人化し、石畳舗装・ガス灯風街路灯建設、和風の統一看板、更に商店街の外壁を一軒ずつ京・町家風に作り変える整備事業を行った。当時の景観や酒蔵のイメージに合わせて白壁と杉の焼板を使い、サッシュの窓には木の格子をはめ込んで明治のロマンを演出した。新名称の「竜馬通り」は、当商店街の立地する南浜には坂本龍馬が京都での政治活動の定宿としていた寺田屋があり、伏見奉行所の捕り方に龍馬が襲われたがお竜さんの機転もあって間一髪逃げ延びたいわゆる「寺田屋事件」の際は商店街周辺を駆け抜けたと伝わることにちなんだ。なお「龍馬」でなく「竜馬」なのは、司馬遼太郎氏の作品「竜馬がゆく」にあやかった。
2010年代半ば以降は、閉店した小売店舗の後に次々と飲食店がオープンし、地元住民や観光客、近隣ビジネスマンの食ニーズに応える「グルメストリート」としても人気を博するようになった。これに伴い徐々に夜の賑わいも生まれ、灯篭設置など夜の景観整備にも取り組んでいる。

竜馬通り商店街